地域活動にもビジネスセンスを 〜伊東允二さん
◆月1回は青色パトロール車に乗って地域の見守り活動。 「ビール飲みながら野球中継を観たい日もあるけど、一緒に やれば苦労もわかる。率先して実践しないと、人は動かない」
つむぎインタビュー第2弾は、大阪市城東区社協会長、地域活動協議会会長として地域活動に貢しておられる伊東允二(まさつぐ)さん。ゴルフはシングルに近い腕前だけれど練習しすぎて肘を壊して手術する羽目になる…等々、仕事も趣味も、とにかく、とことんやる方。年齢を感じさせないバイタリティとアイディアの源に迫ってみました。
40年以上にわたる地域活動は、自営業者だったからできたのかもしれない。 「仕事とごまかして地域活動に出かけたこともあるし、内助の功あってこそ続けられた。奥さんは、怒ってはります。今は息子に年寄りらしくしろと怒られてる」と笑う。 自らを「婿養子ならぬ悪養子」と茶化す伊東允二さん(79歳)に、まちづくりへの思いを聞いた。
動ける今への感謝があるから 続けるために体作り
朝は5時に起きる。自宅から城北公園まで歩き、ラジオ体操。小学生の登校の時間帯には見守り隊として通学路に立ち、帰宅して風呂に入り朝食を摂る。暦通りにこなすこの日課は、健康作りのためであり、往復6キロを歩きながら1日の予定や懸案を整理するウォーミングアップの時間でもある。
10時頃には「仕事」に出かける。行き先は主に榎並地域活動協議会の拠点・榎並会館、区役所、社会福祉協議会など。ほぼ毎日午前、午後と何かしらの会議や打ち合わせがあり、夜も予定が入っていることが多い。携帯電話が頻繁に鳴る。スマホ、タブレットを使いこなし、まさに多忙なビジネスマンのような日々。
「こうして毎日いろんな仕事をさせてもらっていることが有り難い。仕事がなければ1日テレビを見てボーッとしているだろう。誰のためでもなく、自分のため。だから、続けられるように健康維持に努めている。しんどい時もあるが、動ける今は幸せ」
伊東さんは、結核を患って高校を1年で中退した後、家業の洋服屋を手伝って働くようになった。後に保険代理店を始めるが、会社勤めはしていない。長女が榎並小学校に上がってPTA会長に推薦されたのも、自営業者だったことが大きいだろう。
37歳で会長になった時、京橋駅近くにあった当時の扶桑会館に場外馬券売場を開設する計画が持ち上がる。人が集まって金が落ちる、雇用が生まれると地域では歓迎する人もいた。しかし、近隣の榎並、聖賢、桜宮小学校と貿易学園(現在の開明高校)は子ども達に悪影響があると反対の声を上げた。
「はじめは、私らがおかしいと思われていた(笑)。でも、反対の声は次第に地域を動かしていった」
地域活動の原点となった 馬券売場反対運動
若いPTA会長3人が実質的な事務方を務めて知恵を絞り、京橋で4000人規模のデモ、座り込み、与野党の議員を巻き込んでの国会陳情と反対運動を展開。ついに計画は撤回された。「政治も金も関係ない、純粋な気持ちが強みだった」と伊東さんは振り返る。運動を通して、地域とどっぷり関わることになった。この出来事が、地域活動の原点だ。
さらに翌年は榎並小学校創立100周年。PTA会長として記念行事に参加協力し、地域との関係はいっそう深くなる。以後、民生委員、社会福祉協議会、町会長とさらに役割が増え続けて現在に至っている。見返りは関係ない、地域のためになるかどうかが基準なのは、今も同じだ。
ストレス解消は趣味の写真で 。地域の銀行ロビーで定期的に展示も行う
東日本大震災の時は被災地を視察し、災害ボランティアの受け入れがスムーズに行くためには日頃からの地域活動の基盤が必要なことや、避難時の自己責任の重要性を痛感した。避難路を指定しても、そこがベストの選択とは限らない。町会長や防災リーダーが避難所に常駐しているわけでもない。発災時の初期段階で住民一人ひとりがどう動けばよいのか、誰もが知っている必要がある。だから夜間訓練、避難所設立訓練、炊き出し訓練と実践的な防災訓練を繰り返す。
地域防災に限らず、どんな場面においても、伊東さんがいつも検証し、実践し、着実に形にしていくスタイルなのは、常に時代の波を見て自分で道を開く必要のある自営業者として自明のことなのかもしれない。そして商売で宣伝や人のマネジメントなど「売り方」を考えるのと同じように、地域活動でも人を動かすためには、どうアピールするかを工夫する必要がある。「アイディアが大事」なのは商売も地域活動も同じだと考えている。
自分のまちは自分でつくる 変化に柔軟に対応していく
大阪市政改革の柱として地域の活性化・自律が掲げられ、地域活動協議会が設立されるようになって約4年が経つが、施策への反発の声も残っており、地域差、温度差が大きい。しかし伊東さんは、「時代と共に制度が変わっただけで、自分のまちは自分でつくるという基本は変わらない。地域は対応していくだけ」だと考えている。
現場のさまざまな課題は、区レベルで話をしても区役所が地域と市の板挟みになるだけでらちがあかないので、伊東さんは大阪市レベルで協議できる場を作る必要があると言う。補助金制度運用の場面で起こる地域差をどう考えるのか。自営業者は減ったし、若い世代は仕事や子育てに追われて余裕がなく、高齢化も進んでいる。地域活動の担い手をどうしていくか。地域の声を出し、大阪市に提言していきたい。
城東区社会福祉協議会会長としては事業から人事採用まで全体に目配りをする。熊本地震の対応で、募金をするのか、ボランティアバスを出すのか、地域包括はどのように地域に出ていくのか。社協もきめ細かな、攻めの事業が求められる時代。「社協が役所に見えたらあかん」
「まさかこんな人生になるとは思わなかった。一つ一つ積み重ねてきたら今のようになっていただけ」という伊東さんの活動も最終章。最後の課題、スムーズな世代交代をめざして、あとひと踏ん張りが続く。
(取材・文と写真 如月オフィス 川畑惠子)